数年前関西にいたころ、よく寺社仏閣を巡っていた。
どちらかというと、文化に触れることが目的だったように思う。
信心深い訳ではないけれど、宗教が生まれるより遥か昔、1万年近く前からアニミズムは日本に根付いていて。
日本史苦手だったから詳しくは知らないけど、神社やお寺など、しきたりや作法は違うけどあまり垣根なく観光など現代の私達の日常に根付いているのって面白いなと思うし、日本に仏教が伝わって以降や古事記の伝承以降、それだけ長く文化として根ざし続けるにはやっぱりそれだけの理由があるんだと思う。
だから立ち寄った際には敬意を払って、いつもお世話になってます、みんなハッピーに平和に暮らせるといいな。そうあるために、ささやかでも周りに困っている人がいたら自分にできる範囲で手を差し伸べ、道徳的にちゃんと生きることを心がけます。これからもよろしくお願いします。そんなテンションでお参りしていた。

というのも、お願いごとってあんまり思い浮かばなくて。だって、KAT-TUNの背中を見て育った人間なので、自分で頑張って掴んで叶えたほうがかっこいいって思っちゃって。
っていうのは半分冗談だけど。
だから中高時代によく親に太宰府天満宮に連れて行ってもらってたんだけど、〇〇合格とかよりも、集中力や継続力を身に着けたいですってお祈りしてた。ひねくれて面倒臭い子だ。
けど、自分なりの論理はあって。
やるだけやって、合格を待つ間に受かっているように祈るならともかく、最善を尽くす前に受かるように祈るのは違うだろ!と。


そんなスタンスだった自分が泣きついた神社が、一箇所だけある。
京都の縁切りで有名な神社だ。
当時、男性上司と2人きりの事業所に配属されていた。しかし、変な好意を持たれた。明言はされていない。だから自意識過剰かもしれない。いやでも言動がおかしい。次第に変な執着心を感じるようになった。周りに相談したり自衛したけど、やはり1日の大半を2人きりで過ごすのは辛い。苦しくなって、ダメ元で彼から離れたいとお祈りした。
自分も嫌な気持ちをちゃんと外に出す。周りにもちゃんとSOSを出す。頑張るからどうか少しだけ力を貸してくださいと。

直後、その営業所が業績の悪化が原因で閉鎖になった。事業所だけでなく、会社も吸収・合併された。
偶然かもしれないけれど、偶然じゃないかもしれない。私には真相は分からなかったけれど、お願いしたことが叶った以上、責任をもってお礼を申し上げた。

その後、合併先の会社で心身共に疲弊した。
隣の席の上司がモンスターだった。
初日から罵声を浴びせられてしんどかったけれど、4ヶ月耐えた。その4ヶ月、12時間を超える労働、先の読めない休日、本来の業務以外に過剰に割かれる営業活動。体力、思考力、判断力、決断力はみるみる奪われていった。気付いたら8キロ痩せていた。
ある日、張り詰めていた糸がぷっつりと切れてしまって、死を意識した。
あのときの感覚は不思議だった。
目に入るもの全て、これをこうしたら自分はこの生活から解放されて楽になれるって考えてた。
仕事を辞めるとか休職するとか、病院行くとか。
そういう選択肢はびっくりするくらい浮かばない。とにかく全てのものを遮断したいというか。
で、ある日ふとその神社のことを思い出して行ってみようってなった。
縁、切れるのかなって。
自分、変に行動力ある人間だから、そのときの行動力が命を断つ方向でなく、神社に向いたのは幸運だったと思う。
14時間働いたあと、終業後の力を振り絞り、日付けを超えたころ、敷地を跨いだ。
深夜の神社。普通なら不気味に思うかもしれない。しかしそのときは不思議と泣きたくなるような安堵感を覚えた。

度々すみません、深夜に失礼します、と。
そのとき財布に入っていたお札を入れ、もう無理ですと心の中で話をした。呪いたいわけじゃない。危害を加えたりしたいわけじゃない。あの人から、この職場から離れたい、今までみたいに普通の生活がしたい、それだけだと。

その後、少し気持ちが整理され、前回のこともあったため背中を支えてもらっているような心強さを得た。
少し気力が戻り、その気力を仕事に使うのではなく、周りに相談し、精神科に行くという自分のために使うことができた。
今思えば、別に死にたかった訳ではない。辛く苦しい状況からただただ解放されたかっただけだ。でも、追いつめられると思考力や判断力が衰え、シンプルな答えに直結するのだろう。
私はぎりぎりのところを踏みとどまり、免れた。

神社やそこに祀られている神様に、本当にその力があるのかどうかは分からない。でも、少なくとも自分にとっては背中を支えてくれるとても心強い存在だった。

その後、その会社を退職し、関西から遠く離れた東北地方で新しい生活を始めることになった。
その最後の日、お礼を伝えに参拝した。
縁切り神社は、悪縁を断ち、良縁を結んでくれるらしい。
今後の厄除けをお祈りした。
縁結び…。業種のせいか、支配欲の強い人が周りに多かったため、正直男性は苦手だ。恋愛は面倒くさい。家族や自分以外の誰かと一緒に暮らすことも苦手なので婚活にも消極的。誰かのために、自分を殺して生きるのはもう沢山。
自分のために、自分の望むように行きたい。そのためには別に今後も一人で生きていくことに抵抗はない。

そう考えたとき、異性との縁結びよりも職場の人間関係と、ひどく俗っぽいのだけれど、ライブやコンサートのチケット運との縁結びをお願いした。
まあ、チケットに関してはあわよくばだけど。
憧れで、こうありたいという生き方をしている人を近くで見て、力をもらう。
それも自分らしい生き方ではないか。
そう思った。

今の職場は収入こそ十分でないものの、定時で帰ることができ、時間外労働についてもきっちり手当や代休を請求でき、人間関係は今までにない最高な環境だ。

そしてあわよくばのチケット運。
2021年、KAT-TUNの15周年のライブ。
何と復活当選も含めて5公演当たった。
Birdlandは、事務所のチケットこそ当たらなかったものの、ぴあなどで申し込んで5回見に行くことができた。
2022年のHoneyはもう少し落ち着くかと思っていたが、復活当選も含めて8公演。
それまでは1〜2公演しか当たらなかったのに。
東日本の公演が多いから、東北在住で当たりやすいのかもしれないし、コロナ禍の影響で申し込みを見合わせる人が増えているのかもしれない。
けど、これが縁結び効果なら、神様はすごく仕事のできる人かもしれない。ってか、できる人だったんだよな、生前。

あと実は福井公演からの帰り道。
会場から少し離れた駐車場に向かって細い道を歩いていたとき。
会場の方から大きな車が数台来たので、迷惑にならないように道の端に避けて通り過ぎるのを待っていた。
そのときふと目に入った助手席に、派手な髪のサングラスしたお兄さんがダッシュボードに足乗っけてるのが見えて。
後続車も数人のダンサーさんっぽい方々がちらっと見えて。
薄暗かったし一瞬だったから人違いや思い違い、何なら幻覚だったのかもしれないんだけど、なかなかないことだと思うので、今の職場で徳を積んだご褒美だと思っておきます。