【ロックスターとしてのポール】
私の感じた生来のポール像
それは、素直で思いやりがあり、繊細な部分を持つ人だったのだと思う。
所々でさりげなく出てくるファンや女の子への優しい声色
上田くんが演じているからっていうのもあるかもしれないけれど、自然と出てくるもののような気がした。
きっと、優しさゆえに相手の望む言葉選びをすることが多かった初期のポール。
その優しさが仇となり、マスコミやファンが勝手に理想のポール像を創り上げ、押し付けていったのだろう。
「まるで自分の口が何かにコントロールされていて自分でないみたいだ。」
この言葉は深く私の心を抉った。
「2007年生まれの14歳」「みんな撮影しているスマホの画面に夢中で俺らの音楽なんか聞いちゃいねえよ」という言葉から、ポールの年齢こそわからないけれど2021年現在活躍しているロックスターだと推測されるポールたち。
ということは、きっとSNSを通じて様々な言葉を好き勝手書かれ、目撃証言を書かれ、理想像に反する言動を行ったときには面白半分に誹謗中傷も書かれただろう。
ああいうの、ファンがいうならわかるけど何でもない外野の人たちがストレス発散だか何だかで鬼の首を取ったように正義感振りかざして言葉の暴力行ってたりして見てられないよね。
ああいう無駄に声がでかくて、面白半分に便乗する人たちに埋もれて、本当に自分のことを愛するファンが埋もれ、いろいろなものを見失うこと、あるんじゃないかなって思う。
それでもさ、近くに一人でも「ポール自身」を認め、肯定してくれ、話を聞いてくれ、時には叱ってくれる人がいたらさ、違ったんじゃないかって思う。
もしかしたらポールは自分の周りから人がいなくなるのを恐れていたのではないか。心を交わすことを知らなかったため、大体のことをお金で解決し、結果お金を求めるだめな人たちが集まり、悪循環に陥っていったのではないか。
ジョニーやジェニーに対して時に暴力的といっても過言ではないほどのわがままなどで試し行動をしたんだろう。
でも現実は、お金欲しさにポールの言動や情報を週刊誌に売りつける周りの人々。お金になりそうな言葉を引き出そうと言葉巧みに接してくる人々。注目される記事・写真を求める悪質なパパラッチたち。ジョニーとジェニーは最終的にポールから去り、マーニーに至ってはポールどころかこの世から去ってしまう。
ところでパパラッチって死語?
きっと希望に溢れ、小さな地元のライブハウスで最前列を陣取るマドンナ的存在のシャロンだっけ?の気を引こうと試行錯誤した日々…
ライブを終えてポールのお父さんの車に楽器ケースを抱えて飛び乗りながら、ファンについて、その日のパフォーマンスについてああでもないこうでもないと目を輝かせながら語り合った日々…
セカンドツアーのミラノを懐古する場面のポールの語りを聞いて、私の脳裏には鮮やかに「満点の星空の中、ジョニーに競争を吹っ掛け、じゃれ合いながらホテル?に駆けて行ったにもかかわらず中に入れず、車で文句を言いながらなんだかんだで楽しそうに将来の展望を語り合うポールたち」のイメージが浮き上がった。
あと結構知識が幅広いことから、売れ始めのワールドツアーや打ち上げて業界人や知識人、富裕層の話を聞いたりプレゼントをもらったりすることが多く、元々は人の話を聞いたり知識を得ることが嫌いではないタイプなんじゃないかなって思う。言葉選びもロマンチックだったりダイナミックだったり、表現力に長けていると感じる部分もあるし。
だから終盤、もうキャリアが終わりだとなったときの第2の人生の候補として、歯医者や先生などの選択肢が挙がったんじゃないかな。
でもレコード会社と契約し、売れ始め、金のなる木になってしまった。人としての軸がなく、空っぽなことで、目標も「自己実現のため」や「自分の大切な誰かを喜ばせるため」ではなく、「お金を得るため」「より大きな数字を感じるため」になっていったんだろう。そこをレコード会社に利用され、個人のポールの考えや感情、成長が追いつく前に、乗ってしまった列車は猛スピードで走りだしてしまったのだろう。
もしかしたら、最初のうち周りには良心的な人がいたのかもしれない。でも、良薬は口に苦し、正しい言葉を聞くことは耳が痛い。そこを悪用され、そういう良心的な人は意図的にポールから遠ざけられていったのかもしれない。
もしかしたら何度か踏みとどまろう、引き返そうと思ったのかもしれない。でも、自分一人ではどうにもできない部分も多く、考えることを放棄してしまったのかなと思う。
ダメ押しでデイビッドかレコード会社の人間がポールたちの思考力や自我を奪うために薬漬けにした。
そう考えると、ジャニーズ事務所めっちゃ天国じゃん。
ポール、履歴書送ってあげるから日本においで。笑
もっとポールたちの人としての基盤がしっかりあったなら。
まっとうな人に恵まれていたら。
人をいい意味で頼り、いい意味で利用することを知っていたら。
…おかしさに気づき、レコード会社の移籍や立ち上げという選択肢もあったのかもしれない。
「売れるための音楽」「人気が出るためのキャラクター像」ではなく、「表現したい音楽」「ポール自身が発信したい自己像」を表現できたのかもしれない。
もしかしたら、終盤のライブで過去の曲しかやらなかったのはそういう原点の部分に立ち返りたかったからなのだろうか。
ジェニーが怒って帰る前、ステージに立つだけのエネルギーがないと弱弱しいポールをそれでもステージに引っ張っていったものは何なのか。それは今後の一筋の希望につながるのか。
現時点で私の感じているポール像は今後変化することはあるのだろうか。
今後の観劇でその辺がもうちょっと浮き彫りになっていくといいな。