Birdland ネタばれレポート④ ポールとジェニー

どこかの口論で、誰かが顔がひどい(意訳)みたいなことを言ったとき、「周りの人は誰もそんなこと言ってない」っていうのにも表れているように思うけれど、少なくともポールの前ではみなイエスマン。そして謳い文句にもあった、「望めばすべてが手に入り、どこへ行くことも、何を食べることも、何を吸うこともできる」という言葉。そして序盤でジョニーに諭されていたが、人々=自分のファン

そんな中、自分のことをあまり知らず、自分の意見をはっきりと述べるジェニーはポールにとって好ましく映ったように感じられる。「母に連絡しなきゃ」っていう発言も微笑ましい。

ジェニーといるとき、白い足場が取り払われ、でもそのままではなく舞台上に残されたピースをはめ合わせるように配置しなおされる。

それはまるでマーニーの件などで生じた心の溝や人が離れていく孤独感を埋めてくれるような存在であることを表しているようだった。

ジョニーは親友でもあり仕事仲間でもあるかけがえのない存在だが、ジェニーはスターとしてのポールよりも、ポール自身を見て、愛してくれる存在になりえたのかもしれないと思う。それもポールの振る舞いによってだめになってしまうのだけれど。

 

2幕の終盤、マーニーの両親のところに行ったとき。ジェニーはドン引きした表情を見せていたけれど、ポールは罪悪感を払拭し、償いをするために最善を尽くしたのかもしれない。

「彼女もマーニーなんです」というところ、ジェニーへの視線の圧がやばかった。

うわー、最悪!なんだこいつ!と思う反面、似た存在が近くにいることでご両親を慰めようとしたり、お金が全てのポールはお金をあげましょうと提案することで慰めようとしたのかもしれない。故人を偲び、あたたかい思い出話に花を咲かせ、悲しみに寄り添うということを知らないから。誰もポールにそうしてくれなかったから。

そして言い合いが激しくなり、ジェニーに帰りましょうとたしなめられるが、ポールはどうしてこうなっているのか分からない。

お前のせいだ、と口汚く罵ったり、ステージを終えて優しくマーニーに語り掛ける場面。

ちょっとしたDVじゃんって思うんだけど、もしかしたらそういうのが実家であったのかもしれないって思う。

ポールの父と会ったときに「新しい仕事」と言っているあたり、定職には就いていないはずである。「お前がいなかったから」と借金を作るあたりも、こういうことは日常的にあったのだろう。送迎してくれたとジョニーが言ったとき、「違う、酒をひっかけてたんだ」というあたりから、お酒好きだったことがうかがわれる。

酔って母に手をあげたり口汚く罵っていたのかもしれない。だからポールも自然にそうしてしまった。もしかしたら、ジェンダー的なイギリスの社会的背景もあったのかもしれない。

全て偏見だけど。

でも、ジェニーはきっと温かい家庭で育ち、精神的に独立した強い女性だった。

ジェニーの「私、あなたのガールフレンドじゃないの」という言葉は爽快だった。だからこそポールが惹かれたのかもしれない。

しかし、そんな強い女性だからこそジェニーはポールから離れてしまう。

「どいてくれないなら警察を呼ぶから」

の後に放たれた、

「試してみる?」

という言葉。これをきっかけに壊れてしまった気がする。

もしかしたら、マーニーの最期の言葉、

「ジョニーに言うなら私、知らないから!」

に重ねてしまったのだろうか。

ジェニーが去った後、何時間も話していたみたいだと笑うポール。

あんなに悲しく身を引き裂かれそうに笑う人、初めて見た。

誰かポールに愛情を注いであげて…。

現実逃避させる無機質なドラッグやその場限りで朝起きて虚しくなるような肉体関係じゃなく、あったかいお布団とほかほかの家庭料理、そしてもふもふのネコチャン連れてきてあげて…。抱き合わなくていいからハグしてあったかい腕の中で心穏やかに眠らせてあげて…。

「あげて」って言い方、上から目線で嫌だけどさ、それがポールにとって一番の薬だと思うんよ。

Birdland ネタばれレポート③ 音楽の永遠性

初めてBirdlandを観劇したときに感じたポールのその後、それは死だった。

でも、時間の経過とともに、本質的な感覚は変わらないのだけれど、少しだけ違うのかもと思う部分も生まれた。

それは、死とは本当に無なのだろうか、ということだ。

マーニー(もしかしたらポールかもしれないけれど)の言葉を借りると、死んでしまうと人との会話もできなければ、ぬくもりを感じることもできない。不安で寒くて怖い。死んだら猫を飼うこともできない。一般的には確かにそうかもしれない。

しかし、ポールには違う部分もある。世界中の人々に愛される音楽を遺したという点だ。

世界中の人が、家で、学校で、旅先でポールの音楽を聴く。それは場所を超え、時に親から子へ、あるいは学問として世代を超えて伝えられていく。あらゆる音楽がネットワークを通じてデータベースに集約されている。

それって、自分が創り出した音楽を通して、場所を問わず、時代も問わず、ある意味永遠の生を得ているのではないかと感じた。

芸術家って、時に命を削りながら自分の魂を作品に注ぎ込むようなところがあるんじゃないかなって思うんだけど。

ポールの音楽がある限り、ポールは生き続けているのではないかなって。そう思いました。

 

最後の場面のポールの言葉が気になっていた。

僕が見た世界を君が見れるようになるまで」みたいなニュアンスのやつ。

「君」がマーニーのことを指すのか、私たちのことを指すのか分からないけれど、そう考えると自分の中ではなんだかしっくりくるような気がした。

自分は物心ついてから大人になって一人暮らしをするまで、一人っ子だったこともあって家族に寄り添ってもらった記憶よりも、大人のエゴを押し付けられていた印象のほうが強かった。もちろん、そればかりではなく悪くない思い出もあるけれど。

こんなことを言うのはおこがましいけれど、なんとなく、あのころの自分の中の孤独感を勝手にポールに重ねていた。

そんなどこかあまり居心地のよくない中で、音楽はもちろんのこと、文学や映画、絵画など、少なくともそれらに触れることで少なくとも私は自分の世界を広げてもらった。

自分のいるここが全てではないと教えてもらった。旅行誌や世界の写真集に重ねてRiver Danceを聴くと、自分がダブリンからロシアやスペイン、ニューヨークを旅している気持ちになれた。クラシックは詳しくないけれど、国民楽派の人たちの曲は、そのときの時代や国風土を想起させてくれて好きだった。

そう考えると、音楽って、それを作った人の肉体は消えてしまっても、それを作ってくれた人の世界に連れて行ってくれるみたいで、なんかいいなって思って。

とりとめのない文章になってしまったけれど、うん。最後の場面についてそんなことをつらつらと考えていました。

 

そう考えるとね。ここ2作のアルバム、ポジティブな内容だったって1幕終盤で記者の取材で言及されてたり、2幕終盤でもポールとジョニーの口論で、お前の書いたあれ、クソだよみたいなこと言ってたけど、難しいことだと思う。

売れる作品、求められているもの、自分自身が表現したい世界。お金と芸術のバランス。ウケる作品を作らせるためにポールではなくレコード会社がそういうものを意図的にジョニーに作らせていた部分もあるかもしれない。

表現者にとって、自分の表現したい世界を自由に表現できないのはさぞかし苦痛だろうなと思う。特にロックとかはさ。

 

こういうことをつらつらと考えながら、以前もしもKAT-TUNという存在がなくなってしまったらって考えたことがあることを思い出した。

その時はなんだか怖くて、その考えに蓋をしてしまったのだけれど。

その答えが見つかった気がした。

今を大切に、そして彼らの作品を、自分が生きている限り愛し続けたいし、何らかの形で伝えていくことで、生かしていきたい。

Birdland ネタばれレポート② ロックスターとしてのポール

【ロックスターとしてのポール】

 

私の感じた生来のポール像

それは、素直で思いやりがあり、繊細な部分を持つ人だったのだと思う。

所々でさりげなく出てくるファンや女の子への優しい声色

上田くんが演じているからっていうのもあるかもしれないけれど、自然と出てくるもののような気がした。

きっと、優しさゆえに相手の望む言葉選びをすることが多かった初期のポール。

その優しさが仇となり、マスコミやファンが勝手に理想のポール像を創り上げ、押し付けていったのだろう。

「まるで自分の口が何かにコントロールされていて自分でないみたいだ。」

この言葉は深く私の心を抉った。

「2007年生まれの14歳」「みんな撮影しているスマホの画面に夢中で俺らの音楽なんか聞いちゃいねえよ」という言葉から、ポールの年齢こそわからないけれど2021年現在活躍しているロックスターだと推測されるポールたち。

ということは、きっとSNSを通じて様々な言葉を好き勝手書かれ、目撃証言を書かれ、理想像に反する言動を行ったときには面白半分に誹謗中傷も書かれただろう。

ああいうの、ファンがいうならわかるけど何でもない外野の人たちがストレス発散だか何だかで鬼の首を取ったように正義感振りかざして言葉の暴力行ってたりして見てられないよね。

ああいう無駄に声がでかくて、面白半分に便乗する人たちに埋もれて、本当に自分のことを愛するファンが埋もれ、いろいろなものを見失うこと、あるんじゃないかなって思う。

それでもさ、近くに一人でも「ポール自身」を認め、肯定してくれ、話を聞いてくれ、時には叱ってくれる人がいたらさ、違ったんじゃないかって思う。

もしかしたらポールは自分の周りから人がいなくなるのを恐れていたのではないか。心を交わすことを知らなかったため、大体のことをお金で解決し、結果お金を求めるだめな人たちが集まり、悪循環に陥っていったのではないか。

ジョニーやジェニーに対して時に暴力的といっても過言ではないほどのわがままなどで試し行動をしたんだろう。

でも現実は、お金欲しさにポールの言動や情報を週刊誌に売りつける周りの人々。お金になりそうな言葉を引き出そうと言葉巧みに接してくる人々。注目される記事・写真を求める悪質なパパラッチたち。ジョニーとジェニーは最終的にポールから去り、マーニーに至ってはポールどころかこの世から去ってしまう。

ところでパパラッチって死語?

きっと希望に溢れ、小さな地元のライブハウスで最前列を陣取るマドンナ的存在のシャロンだっけ?の気を引こうと試行錯誤した日々…

ライブを終えてポールのお父さんの車に楽器ケースを抱えて飛び乗りながら、ファンについて、その日のパフォーマンスについてああでもないこうでもないと目を輝かせながら語り合った日々…

セカンドツアーのミラノを懐古する場面のポールの語りを聞いて、私の脳裏には鮮やかに「満点の星空の中、ジョニーに競争を吹っ掛け、じゃれ合いながらホテル?に駆けて行ったにもかかわらず中に入れず、車で文句を言いながらなんだかんだで楽しそうに将来の展望を語り合うポールたち」のイメージが浮き上がった。

あと結構知識が幅広いことから、売れ始めのワールドツアーや打ち上げて業界人や知識人、富裕層の話を聞いたりプレゼントをもらったりすることが多く、元々は人の話を聞いたり知識を得ることが嫌いではないタイプなんじゃないかなって思う。言葉選びもロマンチックだったりダイナミックだったり、表現力に長けていると感じる部分もあるし。

だから終盤、もうキャリアが終わりだとなったときの第2の人生の候補として、歯医者や先生などの選択肢が挙がったんじゃないかな。

でもレコード会社と契約し、売れ始め、金のなる木になってしまった。人としての軸がなく、空っぽなことで、目標も「自己実現のため」や「自分の大切な誰かを喜ばせるため」ではなく、「お金を得るため」「より大きな数字を感じるため」になっていったんだろう。そこをレコード会社に利用され、個人のポールの考えや感情、成長が追いつく前に、乗ってしまった列車は猛スピードで走りだしてしまったのだろう。

もしかしたら、最初のうち周りには良心的な人がいたのかもしれない。でも、良薬は口に苦し、正しい言葉を聞くことは耳が痛い。そこを悪用され、そういう良心的な人は意図的にポールから遠ざけられていったのかもしれない。

もしかしたら何度か踏みとどまろう、引き返そうと思ったのかもしれない。でも、自分一人ではどうにもできない部分も多く、考えることを放棄してしまったのかなと思う。

ダメ押しでデイビッドかレコード会社の人間がポールたちの思考力や自我を奪うために薬漬けにした。

そう考えると、ジャニーズ事務所めっちゃ天国じゃん。

ポール、履歴書送ってあげるから日本においで。笑

 

もっとポールたちの人としての基盤がしっかりあったなら。

まっとうな人に恵まれていたら。

人をいい意味で頼り、いい意味で利用することを知っていたら。

 

…おかしさに気づき、レコード会社の移籍や立ち上げという選択肢もあったのかもしれない。

「売れるための音楽」「人気が出るためのキャラクター像」ではなく、「表現したい音楽」「ポール自身が発信したい自己像」を表現できたのかもしれない。

もしかしたら、終盤のライブで過去の曲しかやらなかったのはそういう原点の部分に立ち返りたかったからなのだろうか。

ジェニーが怒って帰る前、ステージに立つだけのエネルギーがないと弱弱しいポールをそれでもステージに引っ張っていったものは何なのか。それは今後の一筋の希望につながるのか。

現時点で私の感じているポール像は今後変化することはあるのだろうか。

今後の観劇でその辺がもうちょっと浮き彫りになっていくといいな。

Birdland ネタばれレポート① 個人としてのポール

9/22の昼・夜公演で、Birdlandデビューを果たしてきました。

思っていた以上に自分の好みに刺さったので、「個人としてのポール」「ロックスターとしてのポール」「ジョニーへの執着」「ジェニーへの執着」「その他の登場人物について」「その他雑記」「ポールと上田竜也との違い」などのテーマについて帰りの電車の中で考え、スマホにメモしていました。

そして気付いた。

これ絶対キーボードで打ったほうが早いやん…。

そして打ってて気づいたら、軽い大学生のレポート課題のような熱量のようになっていました。

はてブロデビューでドキドキです。

激しくネタバレになるので、観劇後にご覧になることをお勧めします。

 

 ― 個人としてのポール ―

トム・ヨークがモデルとか原作抜きで劇だけを見て感じた話です

 

ロンドンっ子って、口悪いよね。

というのが最初の印象。まあ、全て日本語になってるから分からないけれど、口調や話すスピードから受ける印象は、伏せ字スラング使いまくりの下町の子って感じ。

終盤の回想で、「昔他のバンドのギターを盗んだ」みたいな話を楽しそうに話しているから、もともと道徳・倫理についてしっかりと教育してもらえるような環境下で育てられなかったのかもしれない。

聞きかじった程度の知識ベースでしか知らないけれど、イギリスははっきりとした階級社会で、住む場所から読む新聞、話す英語や就ける職業に至るまでその階級が影響しているという。

例えばEast End of Londonと呼ばれる地域は近世以降、貧困層が集まるスラムのような街として存在し続け、いろいろな創作物でもモチーフとして取り上げられる、悪名高い「切り裂きジャック」が出没した街でもある。

ちなみに近年はそのイメージを払拭しようと、再開発も政策として行われている。その一つが「芸術の街」として様々なアーティストを育成するようなものだ。

仮にポールがイースト・エンド出身だとすると、新進気鋭のミュージシャンのパフォーマンスや生き様が若いポールに大きな影響を与えたのかもしれない。

まあ、イースト・エンドがどうこうというよりロンドン自体が伝統とモダン、クラシックとパンクが混在する都市だからあまり関係ないかもしれないけれど。

ごめんなさい、この辺偉そうに語っちゃったけれど趣味程度の知識レベルの話なので、あまりちゃんとしたものではないです…。一応確認程度に軽く調べはしたけれど、誤った話や古い情報かもしれないので、そうなのかなー?程度に軽く流しちゃってください。

 

また、家庭環境に焦点を当てると、「母を亡くしている」点や、マーニーの両親との会話の中で「自死に対する強い忌避感を顕にしている」ところから、母の最期は自死かそれに近いもので、いいものではなくマーニーの死に重なる部分があったのかもしれない。

仮に下町の下層階級の生まれだったとして、もしかしたら母を亡くし、父は日雇い労働とアルコール中毒で家計は苦しく、家庭環境はそんなにいいものではなかったのかもしれない。

だからジョニーの言う「俺、マーニーのこと愛してるんだと思う」という発言について少し嘲るような反応をしたのかもしれない。愛を信じられず、人としての確固とした軸や芯のようなものを築けずに空っぽなのかもしれない。

個人的に一番引っ掛かりを感じているのは、父親との親子関係だ。

何度か作品内に出てくる、「実家のご家族も喜ぶでしょうね」みたいなことを言われる場面。ジョニーに「俺はお前の親父さん好きだぜ」と言われる場面。私にはその言葉を受けるポールが複雑な感情を抱いているように感じた。しんどい。甘えたい。頼りたい。でもお金の無心をされたり、大衆の、ファンの目に苦しめられているポールに、「お前がいるのは大勢のおかげなんだ」と言われる。「お前は昔と変わらないよ」と言われる。弱音を吐きたい、自分は変わってしまった。そうならざるを得なかった。遠いところに来てしまった。苦しい、昔に戻りたい。でも、そんな思いを飲み込んで、昔通りに振る舞わざるを得なかったのではないか。

「父さん、行かないでよ」

「いや、俺は行きたいんだ」

必死に縋った、ギリギリの精神状態のポールから出た精一杯の言葉が突き放される瞬間。

悲しすぎない?
ロックスターのポールという衣装を脱ぎ捨てて、「ただの個人としてのポール」に戻れる場所はないのだろうか。苦しすぎる。哀しすぎる。マーニーの実家を訪れようとするときの、「親ってこういうのを喜ぶんだろ?」って言葉も、「お金をあげましょう」も。ポールにとっての「家族」の在り方はそういうものだったのかもしれないと考えると、切ない。
巨額の富を得て、数字に惑わされる部分も、「そんなものよりも大切なものがあるでしょう」と言ってくれる人が近くにいなかったと思うともう…。いや、お金も大切だけども。

もちろん、そんなん深読みのしすぎでポール=ナチュラサイコパスという一言で片付く可能性もあるんだけどね。

 

個人的な死生観として、死は0だと思っていて。+100の幸福の中にいる人にとって、やりたいことや将来に目を向けている人にとって、全ての世界が0になってしまう死は恐ろしいものだと思う。でも、-100の絶望や苦しみの中にいる人にとって、客観的にその苦しさが一時的なものであっても、当事者にとっては-100の世界が全てだとして。その場合、死はある意味で救いなのではないかと思うんだよね。

ちなみにその人の世界はその人のものなので、自殺を考えている人に安易に「生きたくても生きられない人のことも考えろ」なんて言葉を吐いていいことを言った気になって自己満足している人、大っ嫌いです。それは「生きたくても生きられなかった人に置いて行かれた側の人」が胸に刻んで前を向いて、その時がくるまで生を全うための道標のようなものだと思う。

大丈夫かな、こんなデリケートなこと書いちゃって炎上しないかな。まあ、そんな話は置いといて。

 

「疲れた」と何度も繰り返し、自暴自棄になり、人が離れていき、何度も裏切られる。

何もなくなっちゃった、ジョニーもいなくなっちゃったとマーニーに話すポール。

マーニーは本当にマーニーの霊なのか、それともポールが描き出した幻覚なのか。

地球の輪郭?カーブ?みたいな表現は、最初モスクワのプールでポールが夜空を見上げながらジョニーと話していた部分と重なるものがあり、引っ掛かった。どこかでポールかジョニーがマーニーに話していた可能性もあるけど、そんな話するかな?

そう考えると、マーニーの霊はポールの幻覚なんじゃないかって思う。

だとすると、マーニーの言葉はポールの死生観?あの最後らへんの言葉、うろ覚えだけど「僕が見た世界を君が見れるようになるまで」みたいなニュアンスのやつ。永遠の生への執着にも感じるけれど、話し方もフワフワしていて、死ぬ直前の譫言っぽくも感じた。

足場を覆っている黒い布に送られている空気は、ビルの屋上とそれを取り巻く暗闇や風を表しているのだろうか、そうなるとあの一歩一歩進んだ先は…

 

初めて見たBirdland、私にとって「ポールのその後」は死だったので、そうではない解釈になるよう残り2回、視点を変えて楽しみたいと思います。

 

こういうの考えていてすごく楽しかったので、アマゾンのキンドルでBirdland買っちゃいました。冒頭部分を流し読みしただけなのですが、脚本形式なので一文一文は短く、読みやすい。英文ならではのニュアンスもあるので、チャレンジしてみたいと思います。

得るものがあったら何らかの形で共有したいな。