Birdland ネタばれレポート① 個人としてのポール

9/22の昼・夜公演で、Birdlandデビューを果たしてきました。

思っていた以上に自分の好みに刺さったので、「個人としてのポール」「ロックスターとしてのポール」「ジョニーへの執着」「ジェニーへの執着」「その他の登場人物について」「その他雑記」「ポールと上田竜也との違い」などのテーマについて帰りの電車の中で考え、スマホにメモしていました。

そして気付いた。

これ絶対キーボードで打ったほうが早いやん…。

そして打ってて気づいたら、軽い大学生のレポート課題のような熱量のようになっていました。

はてブロデビューでドキドキです。

激しくネタバレになるので、観劇後にご覧になることをお勧めします。

 

 ― 個人としてのポール ―

トム・ヨークがモデルとか原作抜きで劇だけを見て感じた話です

 

ロンドンっ子って、口悪いよね。

というのが最初の印象。まあ、全て日本語になってるから分からないけれど、口調や話すスピードから受ける印象は、伏せ字スラング使いまくりの下町の子って感じ。

終盤の回想で、「昔他のバンドのギターを盗んだ」みたいな話を楽しそうに話しているから、もともと道徳・倫理についてしっかりと教育してもらえるような環境下で育てられなかったのかもしれない。

聞きかじった程度の知識ベースでしか知らないけれど、イギリスははっきりとした階級社会で、住む場所から読む新聞、話す英語や就ける職業に至るまでその階級が影響しているという。

例えばEast End of Londonと呼ばれる地域は近世以降、貧困層が集まるスラムのような街として存在し続け、いろいろな創作物でもモチーフとして取り上げられる、悪名高い「切り裂きジャック」が出没した街でもある。

ちなみに近年はそのイメージを払拭しようと、再開発も政策として行われている。その一つが「芸術の街」として様々なアーティストを育成するようなものだ。

仮にポールがイースト・エンド出身だとすると、新進気鋭のミュージシャンのパフォーマンスや生き様が若いポールに大きな影響を与えたのかもしれない。

まあ、イースト・エンドがどうこうというよりロンドン自体が伝統とモダン、クラシックとパンクが混在する都市だからあまり関係ないかもしれないけれど。

ごめんなさい、この辺偉そうに語っちゃったけれど趣味程度の知識レベルの話なので、あまりちゃんとしたものではないです…。一応確認程度に軽く調べはしたけれど、誤った話や古い情報かもしれないので、そうなのかなー?程度に軽く流しちゃってください。

 

また、家庭環境に焦点を当てると、「母を亡くしている」点や、マーニーの両親との会話の中で「自死に対する強い忌避感を顕にしている」ところから、母の最期は自死かそれに近いもので、いいものではなくマーニーの死に重なる部分があったのかもしれない。

仮に下町の下層階級の生まれだったとして、もしかしたら母を亡くし、父は日雇い労働とアルコール中毒で家計は苦しく、家庭環境はそんなにいいものではなかったのかもしれない。

だからジョニーの言う「俺、マーニーのこと愛してるんだと思う」という発言について少し嘲るような反応をしたのかもしれない。愛を信じられず、人としての確固とした軸や芯のようなものを築けずに空っぽなのかもしれない。

個人的に一番引っ掛かりを感じているのは、父親との親子関係だ。

何度か作品内に出てくる、「実家のご家族も喜ぶでしょうね」みたいなことを言われる場面。ジョニーに「俺はお前の親父さん好きだぜ」と言われる場面。私にはその言葉を受けるポールが複雑な感情を抱いているように感じた。しんどい。甘えたい。頼りたい。でもお金の無心をされたり、大衆の、ファンの目に苦しめられているポールに、「お前がいるのは大勢のおかげなんだ」と言われる。「お前は昔と変わらないよ」と言われる。弱音を吐きたい、自分は変わってしまった。そうならざるを得なかった。遠いところに来てしまった。苦しい、昔に戻りたい。でも、そんな思いを飲み込んで、昔通りに振る舞わざるを得なかったのではないか。

「父さん、行かないでよ」

「いや、俺は行きたいんだ」

必死に縋った、ギリギリの精神状態のポールから出た精一杯の言葉が突き放される瞬間。

悲しすぎない?
ロックスターのポールという衣装を脱ぎ捨てて、「ただの個人としてのポール」に戻れる場所はないのだろうか。苦しすぎる。哀しすぎる。マーニーの実家を訪れようとするときの、「親ってこういうのを喜ぶんだろ?」って言葉も、「お金をあげましょう」も。ポールにとっての「家族」の在り方はそういうものだったのかもしれないと考えると、切ない。
巨額の富を得て、数字に惑わされる部分も、「そんなものよりも大切なものがあるでしょう」と言ってくれる人が近くにいなかったと思うともう…。いや、お金も大切だけども。

もちろん、そんなん深読みのしすぎでポール=ナチュラサイコパスという一言で片付く可能性もあるんだけどね。

 

個人的な死生観として、死は0だと思っていて。+100の幸福の中にいる人にとって、やりたいことや将来に目を向けている人にとって、全ての世界が0になってしまう死は恐ろしいものだと思う。でも、-100の絶望や苦しみの中にいる人にとって、客観的にその苦しさが一時的なものであっても、当事者にとっては-100の世界が全てだとして。その場合、死はある意味で救いなのではないかと思うんだよね。

ちなみにその人の世界はその人のものなので、自殺を考えている人に安易に「生きたくても生きられない人のことも考えろ」なんて言葉を吐いていいことを言った気になって自己満足している人、大っ嫌いです。それは「生きたくても生きられなかった人に置いて行かれた側の人」が胸に刻んで前を向いて、その時がくるまで生を全うための道標のようなものだと思う。

大丈夫かな、こんなデリケートなこと書いちゃって炎上しないかな。まあ、そんな話は置いといて。

 

「疲れた」と何度も繰り返し、自暴自棄になり、人が離れていき、何度も裏切られる。

何もなくなっちゃった、ジョニーもいなくなっちゃったとマーニーに話すポール。

マーニーは本当にマーニーの霊なのか、それともポールが描き出した幻覚なのか。

地球の輪郭?カーブ?みたいな表現は、最初モスクワのプールでポールが夜空を見上げながらジョニーと話していた部分と重なるものがあり、引っ掛かった。どこかでポールかジョニーがマーニーに話していた可能性もあるけど、そんな話するかな?

そう考えると、マーニーの霊はポールの幻覚なんじゃないかって思う。

だとすると、マーニーの言葉はポールの死生観?あの最後らへんの言葉、うろ覚えだけど「僕が見た世界を君が見れるようになるまで」みたいなニュアンスのやつ。永遠の生への執着にも感じるけれど、話し方もフワフワしていて、死ぬ直前の譫言っぽくも感じた。

足場を覆っている黒い布に送られている空気は、ビルの屋上とそれを取り巻く暗闇や風を表しているのだろうか、そうなるとあの一歩一歩進んだ先は…

 

初めて見たBirdland、私にとって「ポールのその後」は死だったので、そうではない解釈になるよう残り2回、視点を変えて楽しみたいと思います。

 

こういうの考えていてすごく楽しかったので、アマゾンのキンドルでBirdland買っちゃいました。冒頭部分を流し読みしただけなのですが、脚本形式なので一文一文は短く、読みやすい。英文ならではのニュアンスもあるので、チャレンジしてみたいと思います。

得るものがあったら何らかの形で共有したいな。